知られざるオランダの文化

まだ出会ったことのない文化を覗いてみませんか?

オランダ絵画 ファン・デ・フェルデ家の画家たち

Goedenavond!

こんばんは、カツワです。

今日は趣向を変えてオランダ黄金時代の画家を取り上げることにしました。

はじめに

ファン・デ・フェルデ(Van de Velde)という人物について聞いたことはありますか?

17世紀に、ライデンやアムステルダム、ロンドンなどに居住したファン・デ・フェルデ家は、3人の優秀な画家を輩出しています。

その3人とは以下の通り。

  • 父 ヴィレム・ファン・デ・フェルデ・デ・アウデ 

   Willem van de Velde de Oude

  • 長男 ヴィレム・ファン・デ・フェルデ・デ・ヨンゲ

   Willem van de Velde de Jonge 

  • 次男 アドリアーン・ファン・デ・フェルデ 

   Adriaen van de Velde 

 

下線部は、親子で同姓同名なので区別してある部分です。デ・アウデ de Oude は英語で the Elder, 「大フェルデ」とか「ファン・デ・フェルデ一世」と訳せるでしょうか。デ・ヨンゲ de Jonge は英語で the Younger, 息子なので「小フェルデ」とか「ファン・デ・フェルデ一世」となります。

 

簡単に家系図を作ってみました。

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 それでは一人ずつ作風や来歴を見てみましょう。

 

父 ヴィレム

ヴィレムは、アムステルダムロンドンを活動拠点に、船の絵をたくさん描いた海洋画家として有名です。

船乗りだった父親の影響か、彼は平時・戦時に関わらず、船の航海に同行していました。そのため、実際の様子が描れたリアルな絵が見られます。

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ダンケルクにおけるスペインとの海戦》1659年 Rijksmuseum所蔵 *1

例えばこのペン画は、1637年フランス北部のダンケルクで、スペインの無敵艦隊アルマダが出航できないよう、12隻のオランダ船が妨害する場面です。オランダ船はみな敵の方向を向いていますが、船尾の紋章などの装飾がとても丁寧に描写されているのがわかります。

さて、何隻いるか数えられますか?

…私が見えたのは大船が20隻弱と、小舟がちらほらでした。

オランダの三色旗を揚げている12隻の大船以外は、攻撃されているスペイン船なのでしょう。

 

お次はこちら。

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リヴォルノの海戦》1659-1699年前後 Rijksmuseum所蔵 *2

さっきよりショッキングな絵がきました(笑)1653年イタリア沖で、オランダ軍艦イギリス船を炎上させる場面です。

構図の効果で、左上から右下の大破した船に視線が誘導されますね。

 

父ヴィレムは1670年代に、次に紹介する長男とともに渡英し、イギリス王室のために船の絵を描きました。

長寿を全うした彼は、1693年にイギリスグリニッジで亡くなっています。

 

長男 ヴィレム

オランダ生まれの息子のヴィレムは、父と同じく海洋画家としてやはりイギリスで活躍しました。

父だけでなく、当時有名だった海洋画家 スィモン・デ・フリーハー Simon de Vliger に師事し、技術を磨きました。

特に、父ヴィレムの作品にペン画が多い一方、長男の作品には色彩のある油絵が見られます。

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《穏やかな海に浮かぶオランダ船》1665年頃 Rijksmuseum所蔵 *3 

非常に緻密ですね。このように長男フェルデは、静かな水面に船が浮かぶ様子をしばしば描きました。

 

一方で、父親同様、イギリス王室のために戦闘シーンも描ています。

それがこちら。

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《ソールベイの戦いにおけるロイヤル・ジェイムズ号の炎上》グリニッジ国立博物館所蔵(2020年2月14日現在、展示なし)*4

第三次英蘭戦争における1672年ソールベイの戦いです。イギリス船ロイヤル・ジェイムズ号が、オランダ船の奇襲を受けて炎上するシーンを描きました。

数年前に一世を風靡した、残酷な中世ファンタジードラマ「ゲームオブスローンズ」に出てきそうです…。

ちなみに父ヴィレムもこの海戦をタペストリとして描いており、それをアムステルダムの海事博物館が大枚をはたいて購入したと、先日ニュースになっていました。

nos.nl

なお、当時タペストリは上流階級や各国の貴族の間で、絵柄や制作技術に価値が見出され、贈答品や装飾品として用いられていたそうです。

 

父の死後、長男ヴィレムは工房を運営し、海事関係の歴史的な事件を描き続けました。イギリスの海洋絵画教育の創立者とも言われるほど大きな功績を残しています。 

 

次男 アドリアーン 

次男アドリアーンは、その父や兄に比べて短命ですが作品を残しています。

海洋画家の父とは違う方向に行きたかったようで、ヤン・ヴァイナンツの工房で研鑽を積み、動物・風景と、少数の宗教画を描きました。

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《小屋》1671年 Rijksmuseum 所蔵 *5 

緑の描写と毛並みの質感がリアルですね。中央左の枯れかけた木が空と緑を繋いでいるように見えます。はい、素人感想です(笑)

 

実は、アドリアーンの作品には海を描いたものもいくつか存在します。

f:id:kashiwamaro:20200214232356j:plainスケベニンゲンの海岸》1658年 アルテ・マイスター美術館所蔵 *6

海の絵、といっても風景画です。暖かい季節なのでしょう。足を浸して遊ぶ人々の平和な雰囲気が伝わってきます。

デン・ハーグ Den Haag からずーっと海に向かって行くと、この、スケベニンゲン Scheveningen という面白い名前の海岸に出ます。どちらかというとスヘフェニンゲンという発音だと思いますが(笑)

現在、スケベニンゲンの浜辺には観覧車やショッピングセンターがあって、音楽イベントや正月の寒中水泳が行われる観光地となっています。私も寒い中、新年の水浴びに参加したことがあります、帰り道は全身震えていました…。

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それはさておき、今も昔も人々の憩いの場なのだとわかりますね。こういうことがわかるのも、アドリアーンたち先人の絵画が残っていてくれるからです。 

アドリアーンはその後、父や兄とは違ってイギリスには渡らず、アムステルダムに居住し家族を設けますが、35歳の若さで亡くなりました。同時代のオランダ人画家である、ヤン・ファン・デア・へイデンとフレデリック・デ・ムシェロンとの共作を作っている途中だったそうです。

 

おわりに

今日はファン・デ・フェルデ家の3人の画家について見てみました。日本語ではあまり情報が得られないので、こうやって機会を作って調べることで、私も勉強になります。

読んでいただきありがとうございました。

それではまた!Tot ziens!